なんとかなる

乳がんサバイバーの備忘録。

長い入院生活といろんな訪問者。その2。

毎日がパーティ?

 

大騒ぎ体質のせいで、毎日毎日たくさんの友達が遊びに、お見舞いに来てくれた。 

ur-not-alone.hatenablog.com

 

ほんとうにありがたい。

何より気分が紛れるし、病室はなぜか笑いに溢れてた。 

笑いってすごい。

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長い入院生活といろんな訪問者。

ぜんぶ、ドレーンのせいだ。

 

術後ドレーンを二本つけていた。一本はすぐにはずれたけど、排液の量が減らなくてもう一本がどうにもこうにもはずれない。

 

主治医の説明だと5日くらいと言われていた入院期間、なんと結局13日となりました。

…ええ、すごい個室代ですよ。給料もぶっ飛びますよ。

 

最後の5日くらいは毎回看護師さんに、

まだですか?まだですかー!

って聞いてたけど、なかなか50cc以下にならなかった。

 

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手術の翌日と翌々日。

病院の朝は早い。

 

手術当日はいろんな管をつけたままの状態で寝ていた。夜中には何度も何度も看護師さんが来てくれ、対応してくれた。

父がずっと入院しているため、病院関連事情に慣れてる母も、この病院の素晴らしい対応ぶりには感動してた。 

 

自由の身になる

この日の朝、尿道カテーテルが取れると自分でトイレも行けるようになって、自由の身になる。

朝ごはん前に、若干スパルタ的に、

起きてみましょうか(ニッコリ☆)

ということになった。

 

えっ、いま?この早朝に??

 

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全摘+同時再建手術。

朝一の8:45から手術予定。

 

6時前には起こされ、用意された飲み物を飲み、感染症予防のために専用のスポンジとせっけんで入念にシャワー。さらには看護師さんをシャワー室の呼び出しボタン呼んで、ちゃんと洗えているかチェックしてもらう。たしか二回この専用スポンジ使った記憶があるから、夜と朝二回入ったんだな、きっと。

 

母が恐ろしく早く到着した。

目覚めてたけどまだ寝たいなぁとか思ってたから、たぶん7時とか。いったい何時に家を出てきたんだろ?実家から病院までは少なくとも1時間半はかかるはず…。眠れなかったんだろうな、私は爆睡だったけど。

スッピンだし飲み食いできないし、やることもなく手術着に着替えて、友達からの励ましメールに返信しながらお迎えを待つ。

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告知から一年。

先生が、乳がんだって言ったから、四月二十日は私の告知記念日。

 

俵万智(サラダ記念日)風にしてみました。

 

一年前の2016年4月20日。

不安のど真ん中での告知。

2週間前から怪しいとは思っていたけど、やっぱり悪性と確定されるとショックなもの。

頭と身体が離れちゃったかと思うくらい頭だけフル回転して止まらなくなってた。

 

この頃はまさかこんなに大変な治療をやらなきゃならなくなるなんて思っていなかった。手術して薬飲めばいい、って思ってたよ。

5ヶ月半の抗ガン剤の副作用で髪がまだ短くてウィッグだけど、それ以外はだいたいの副作用から解放されてる。細かいことはいろいろあるけど大した問題じゃない。

 

ごはんも食べて、お酒も飲んで、音楽も聞きに行って、仕事もして、友達と遊んで、散歩して、急ぐ時には小走りもできて、これからやりたいなって思うことも出てきて、

 

とりあえず一年後は元気です。

 

今検査や治療で大変でも、一年後には元気になるよ。

 

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入院当日。

手術予定日の前日、5/19に入院した。

 

9時過ぎに麻酔科の予約が入っていたので、荷物をキャリーバッグに詰めて、タクシーで向かった。

家から病院までは、タクシーで約15分。まあまあ近い。

 

入院受付は10時だったけれど、9時過ぎに麻酔科の診察。質問と説明をされて、たわいもない話をして終わる。布エコバッグを持っていたら、

「そういうナチュラルなの好きなんですか」

って全然関係ない質問で締めるおじさん先生。少しだけ緊張してたからほぐれたよ。

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大騒ぎ体質。

わたしは何かが起こると一人で留めておけないタイプ。

 

かなりあけすけな女だと思う。

昔から好きな人ができれば、あーでもないこーでもないと話しまくり、仕事で嫌なことがあればグダグダ話しまくり、何か悩みがあればその悩みを話す。

もちろん、誰彼かまわずってわけじゃない。

聞いて欲しいだけのこともあるし、解決策の案が欲しいこともあるし、もう心は決まってて話して納得したいだけのこともある。わりと話してすっきりすることも多い。

まぁ、めんどくさいやつですよ、たぶん。

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