手術の翌日と翌々日。
病院の朝は早い。
手術当日はいろんな管をつけたままの状態で寝ていた。夜中には何度も何度も看護師さんが来てくれ、対応してくれた。
父がずっと入院しているため、病院関連事情に慣れてる母も、この病院の素晴らしい対応ぶりには感動してた。
自由の身になる
この日の朝、尿道カテーテルが取れると自分でトイレも行けるようになって、自由の身になる。
朝ごはん前に、若干スパルタ的に、
起きてみましょうか(ニッコリ☆)
ということになった。
えっ、いま?この早朝に??
…少しすると吐き気とめまいが襲って来た。とりあえず横に戻りましょう、となったけど、少ししたら
は、吐くー!
と思ってナースコール。吐き気どめを入れてもらって吐かずに済んだ。
まだ起きれないよ、起きたくないよ、、、というのと、早く元気になりたいよ、というのでぐだぐだ葛藤。
そのあと看護師さんに支えてもらいながらもう一度起きてみると、今回はいけそうな感じなので、尿道カテーテルを抜いてもらって、自力でトイレに行った。
少しずつ自由になってくこの感じ!
どんな食事だったかもう忘れてしまったけれど、そのあとすぐに朝ごはんを食べ、意外と元気じゃん、と安心した。
おっぱいの手術ってこんなものなんだな。
子宮筋腫摘出の手術の方がよっぽど辛かったよ。
術後繋がれていた酸素マスクは早々に外され、尿道カテーテルも外され、ごはんを食べられるようになるとわりと早々に点滴も外された気がする。あとつながってるのは、ドレーンだけ。
ドレーン。
こいつにはここから悩まされることになる。
主治医が手術当日の夜に部屋に様子を見に来てくれた。痛いし眠いしボロボロで、ろくな会話もできなかった。
手術翌朝は主治医チームがみんなで来たのか、これまた覚えていない。たぶんみんなで来て、傷跡チェックをしていったのかも。(一年前の記憶ってなくなるものだな…)
ちゃんと聞きたかったこと
母親の説明もどうも的を得ないし、先生に会ったらちゃんと聞いておきたいことがあった。
結局わたしの手術はどうだったのか、これからどうなるのか。麻酔が冷めた時の会話しかちゃんとした説明もなかったので、きちんとした説明が欲しかった。
手術翌日の夜、主治医が部屋に来たので聞いてみた。
詳細の説明がほしいです。
一瞬、「言ったじゃん」的な感じはあったけど、ちゃんと説明してくれた。
・・・ なるほど。
一番嬉しくない結果になっちゃったな。
さらにその翌日に書いた、気になることメモが残ってる。
- 自分の状態は早期発見なのか?
- 右の胸(術側の逆)も痛い気がするんですけど。
- なんで、7月にやったマンモでは見つからなかったのか?
- 抗がん剤は絶対必要なのか?
- なんで術前に言ってた可能性のある抗がん剤期間3ヶ月から、今は6ヶ月になったのか?
- 抗がん剤の効果ってなんなのか?
- マッサージローラーはやっていいのか?
- アロマテラピーは活用してもいいのか?
- レーザー脱毛はやってもいいのか?
いろんな疑問が湧いて、メモっていた。そりゃ、なんでも気になるよ。
これらの疑問をぶつけてみたけれど、結局ちゃんと理解したのは退院後の診察。
今思うと、この時は説明を聞いても全然上滑っていて、疑問も解決してなかった。
とりあえず、
- マッサージローラーはだめで、
- アロマは別に良くて、
- レーザー脱毛もやっていいんじゃないか、
ってことはわかった。
「抗ガン剤」ってやっぱりドラマとかで見るイメージがあって、
辛い仕事は辞めたくて、
でも、その時実現したかった転職もあきらめなくてはならなくなりそうで、
この先の全部が真っ暗になったようで、
どうして抗ガン剤なんてやらなくちゃいけないのかわからなくて、
一体何のために生きて、
そんな辛い治療をやってまで、生きる必要があるのか?
そんなことを考えて、その日いた母親にぶちまけた。
わたしも泣いていたけど、そんなわたしの言葉を聞いて母も泣いてた。
言っちゃいけないことを言った気がした。