なんとかなる

乳がんサバイバーの備忘録。

全摘+同時再建手術。

朝一の8:45から手術予定。

 

6時前には起こされ、用意された飲み物を飲み、感染症予防のために専用のスポンジとせっけんで入念にシャワー。さらには看護師さんをシャワー室の呼び出しボタン呼んで、ちゃんと洗えているかチェックしてもらう。たしか二回この専用スポンジ使った記憶があるから、夜と朝二回入ったんだな、きっと。

 

母が恐ろしく早く到着した。

目覚めてたけどまだ寝たいなぁとか思ってたから、たぶん7時とか。いったい何時に家を出てきたんだろ?実家から病院までは少なくとも1時間半はかかるはず…。眠れなかったんだろうな、私は爆睡だったけど。

スッピンだし飲み食いできないし、やることもなく手術着に着替えて、友達からの励ましメールに返信しながらお迎えを待つ。

手術室へ

お迎えの看護師さんが来たので、歩いて二階の手術室へ。二階は外来フロアで、外来に来てる患者さんたちの前を堂々と手術着で歩く。

ってことは、帰りはこの中をベッドで通り抜けるの?

と恥ずかしくなったけど、結局どうだったのかはわからない。今まで院内歩いててベッドがたくさん往来してるのを見たことがないから、さすがにベッドは裏口からなのかな?

 

手術室フロアの中の部屋で、手術に携わる医師と麻酔医と看護師さんなど関係各位が集まって来て、手術の説明と確認をされた。まだその日主治医の姿は見なかったけど、母曰く別の部屋で手術の準備してたっぽい、と。

 

朝一ということもあってか、結構まったり待たされたけど、いざ手術室に入ることに。

じゃ、行ってくるね!

こういう時って親の顔とか見ると間違いなく泣ける。感情がどうとかじゃなくて、そういうシチュエーションに負けちゃう。

 

実は全身麻酔の手術は3度目。

なのでそんなに手術に対する恐怖とか不安はなかった。

今までのに比べここの手術室は思ってたよりも小さくて、でも関わる人はたくさんいて、ワサワサしてた。

手術室の台に自分で登ると、あとはもうすごい勢いでいろんなものがテキパキと装着されていった。

同時再建のための形成外科を含めたチームの先生たちが見えた。主治医はどこだ?たしか、麻酔で記憶がなくなる直前に登場してきた気がする。

それからのことはもちろん覚えていない。

 

目覚めと衝撃

麻酔から目覚めて、回復室で見えた時計が12時前だった気がする。傍らには主治医が立っていた。

「おつかれさまでした。無事終わりました。

リンパまで転移してたねー…抗ガン剤やったほうがいいねー…6ヶ月かなー…

え、いまなんと?ずいぶんとあっさりお話しされますね?

 

一気に目が覚めた。

実は、転職を考えていて決まってた会社があった。でも抗ガン剤をしたら、行けないなと思って、それが一番気にかかっていたの。麻酔冷めてもそれを一番に考えるなんて、なんてマジメなの、わたし。いや、どんだけ会社辞めたかったの、わたし。

 えーー。じゃ仕事は、転職は無理ですか。

「んー、仕事も大事だけど、身体が一番大事だからね。

 

ごもっとも。ごもっともですよ。

でもこの状況でその話は受け入れられない。

医師として結果と事実を伝えてくれただけなのに、一瞬、恨みすらした。ごめんなさい。

 

病室にもどる

その後病室に戻された。こんな状態。

f:id:ur-not-alone:20170422105240j:image

(病院の説明書より) 

とにかく痛くて眠くて。

母は術後主治医から説明を聞いていて、

「リンパまで転移してたって。抗ガン剤やったほうがいいから、転職は難しいでしょうって言ってたよ。」

と言われた。先生、難しいとまで言いましたか。

まだいろんな管が繋がってるのに泣いた。ほんとに悔しかった。

 

告知からの1ヶ月の間に、脇の下が痛くて何度か相談のメールをしてた。でも、大丈夫です、なんでもありません、と言われるばかり。

もし、少しでも早く手術してたら、リンパまでギリギリいかなかったんじゃないか?って思って、またここでも先生を恨んだ。

まぁ、たぶんそんなことはないのだろうけど。でもね。痛かったんだもん。怖かったんだもん。

 

その日は吐き気と痛みの戦いで、その度ごとにナースコールして、吐き気どめと痛みどめを点滴してもらった。

ガマンしなくていいですからね、って言うからほんとにガマンしなかった。

術後から翌朝まで、看護師さんはほんとにこまめに部屋に来てくれた。1時間に1回は見回りにきてたと思う。

ビックリするほど、手厚いケア。

 

とにかく、ひたすら寝るのみ。